Papen's Piling

主にコンシューマーゲーム会社を調べる所

【考察】『ウルトラスーパーデラックス』が現行カービィの礎

 任天堂の据置ゲーム機と携帯ゲーム機が併存していた古の時代(大袈裟ですが、Switchが出てもう5年経ちます)はゲーム制作会社は据置チームと携帯チームの2つを持ったりするなど、2正面作戦が前提となりやすいものでした。ハル研究所も据置チームと携帯チームを分けて挑みましたが、据置チームはなかなかゲームをまとめ上げることができませんでした。一方、携帯チームでは熊崎 信也というゲームデザイナーが『星のカービィ ウルトラスーパーデラックス』(2008年。以下、USDX)で初の企画と監修を務めました。それは本人の口からして笑いながらもしんどかったと言わしめるものだったそうですが、ここから今のカービィが始まっていきました。

いま振り返っても、この時はしんどかったですね。死ぬかと思いました(笑)。
出典:宮昌太朗(2017)「25年目のカービィを創るということ。」,『CONTINUE SPECIAL ガールズ&パンツァー』,P.133,太田出版

 熊崎 信也氏というゲームデザイナーは『星のカービィ』シリーズに携わってから今年で21年目となります。もはや年数で言えば生みの親である桜井 政博氏を超えています。そんな、人生の少なからぬ部分をカービィに注ぎ込んだ彼の力もありカービィは進んでいます。そんな彼が初めて企画・監修を務めた『USDX』についてはそこまで深く調べておりませんでした。今回はこちらをできる限り見ていきます。

30周年記念というにはなんだか変な気もしますが、「『USDX』がなければ今のカービィはなかった」という(結構センセーショナルな)結論が出るからです。

簡単ではない事情

この作品のスタッフリストですが、プログラムディレクターとデザインディレクターがどちらも『星のカービィ』(1992)以前からハル研に在籍する社員です。プログラムは葛西 重忍氏、デザインは吉川 仁志氏です。葛西氏は『宇宙警備隊』(1990)、吉川氏は『御存知 弥次喜多珍道中』(1989)が初クレジットです。プログラマー、アーティストもそれぞれ分けて表にしますと前半に古参社員が多いことが分かります。カッコ内は入社年、クエスチョンマークありは初クレジットの作品の発売年です。

『USDX』プログラマー
『USDX』アーティスト

まぁ全体としては他社(任天堂だったりカプコンだったりフラグシップだったりします)や、若手の社員もおります。ただ、開発現場自体は40名程度*1でテスティングを含めても50名弱です。そもそも、開発当初はスーパーファミコン版をベースに少しボリュームをつける程度の仕様だったため、ごく少人数で始めていたとプログラミング担当の乙黒 誠二氏が詳しくお伝えしています。ちなみに乙黒氏は『星のカービィ 夢の泉の物語』(1993)以降カービィに携わっています。

今作の開発ですが、開発当初はスーパーファミコン版をベースに少しボリュームをつける程度の仕様だったため、ごく少人数で始めていました。それが、いつのまにやら仕様が増え、人が増え、最終的に蓋を空けてみれば、かなりのボリュームになっていました。
出典:ハル研究所ウェブサイト:HAL LABORATORY, INC.|DIARY|要半分強スクロール

ここで『星のカービィ スーパーデラックス』(1996。以下、SDX)にも参加したスタッフを数えるとこうなります。

『SDX』・『USDX』両作品参加スタッフ

プログラマーやアーティストの前半にいらっしゃる方が『SDX』開発経験者だったことを踏まえると、当初は『SDX』経験者で固めた布陣で作品を世に出そうとしていました。そんな中、『SDX』開発未経験者がリメイク作品の企画とその監修を務めるというのは勤続年数に関係しないコミュニケーションが確立されていたとしても、大変な話です。

ちなみに熊崎氏と言えばサウンドの監修でも有名で、「カービィサウンドの創設者」とも言われる石川 淳氏に全体を見ながら考えて作ることを自分でやりたいし、できちゃう人と言われます。しかし『USDX』で熊崎はサウンドについて話していません。サントラのライナーノーツにもハル研ブログの開発後記にもNOMのインタビューにも載っていません。音楽にまで手が回らなかったのではと推測する方が自然かと思います。

開発環境の変化

『USDX』は開発環境も従来のカービィから変わったことが分かります。これについても乙黒氏が詳しくお伝えしています。

話は変わりますが、今回の開発での発見についてもお話ししたいと思います。この開発の途中、プログラマーの増員と同時にブースの配置変えが起きました。個々のブースは基本的に壁で仕切られていて、椅子に座ると顔が見えなくなってしまうのですが、リーダーの意向によりこの壁を取り払い、広いスペースを作って皆が一望できるようなブース配置に切り替わりました。私のブースは二人がけになったのですが、このプロジェクトに入るまでは壁で仕切られたブースの中で黙々と作業していた私としては、なんとなく隣が気になり、最初のうちはあまり作業がはかどりませんでした。しかし、日が経つにつれだんだん慣れてきて、先ほどの通信部分のことでも、これまでなら一人で頭を抱えて唸っているところを、周りにいる人からアドバイスをもらったり、ちょっと休憩して隣と他愛もないヨタ話をしたりするようになり、あまりストレスが溜まらず作業ができました。こういった助けや息抜きのおかげで、自分だけでなく他のスタッフの雰囲気も明るく元気になったように思います。これは今までなかった発見で、コミュニケーションの大切さを痛感しました。『より良い作品づくりは、よりよい環境づくりから始まる』のかもしれませんね。


また、なんといっても今回のプロジェクトで一番良かったのは、スタッフ及び関係者全員の『連帯感』が今まで以上に強かったことだと思います。壁を取り払った影響なのか、スタッフ同士の助け合いや、デバッグチームとの連携が、これまで以上にスムーズに進んでいたと思います。担当外のバグでも、複数のプログラマーで一斉に調べたり、作業が空いているデザイナーさんにデバッグしてもらったりと、スタッフ全員が自分の仕事以外にも積極的に取り組んでいました。これまでは開発の終盤になると、みんなピリピリしてきて、バグが出たりするとたいてい険悪なムードになったりしたのですが、今回はあまりそういった雰囲気にならず、冷静に対処したり、積極的にお互いをフォローし合ったりしていました。その結果、最後まで士気が下がらず、無事完成したときの『達成感』はものすごく大きかったです。打ち上げも盛大で、参加者がかなりの大人数でびっくりしました。自分が知らないうちに、いろいろな人の協力があったんですね。
出典:ハル研究所ウェブサイト:HAL LABORATORY, INC.|DIARY|要半分強スクロール

リーダー(このリーダーが誰かはどうでもいいと思ってます。公開情報では確認できませんし)の意向で壁を取り払ったことで、あまりストレスが溜まらない環境になった。スタッフの連帯感が今まで以上に強くなったことを伝えています。乙黒氏は『カービィボウル』(1994)、『大乱闘スマッシュブラザーズDX』(2001)、『カービィのエアライド』(2003)、『タッチ!カービィ』(2005)と多数の作品に関わっております。そのような方が今までの現場と比べて『USDX』の現場がこうだったとお伝えしていることを踏まえますと、非常に興味深いです。

これまでのゲームの開発は終盤に険悪なムードになったそうです。この辺はゲーム制作と言いますか、納期が迫ると制作チームの雰囲気が悪化しない方が例外みたいなものです。その例外を実現させるために『USDX』で色々変わったそうですから、ここは大きな転換点だったと考えられそうです。

カービィ1.0に向けて

社長が訊く『星のカービィ Wii』(2011。以下、Wii)において、熊崎氏はこう言いました。

熊崎

制作期限もはじめに「1年半で」と言われましたし。

岩田

最初、「えーっ? そんな短い期間では無理ですよ!」
とは思いませんでした? 

熊崎
(少し考えて)
いえ・・・「やってやろう!」と思いました。
そう思えたのも、以前に『ウルトラスーパーデラックス』を
担当していたことが、経験として役に立ちました。
出典:社長が訊く『星のカービィ Wii』

ここで位置づけをもう一度見てみましょう。2008年時点のハル研が自力で世に送り出せたカービィは『タッチ! カービィ』(2005)と『USDX』だけでした。そんな彼らに本編を頼むのはおかしくないでしょう。と言いますか、それ以外の手がありません。

その『USDX』で熊崎氏は企画と監修をしっかり務めました。開発環境もまた連帯感が強いもので古参スタッフも注目するほどでした。これらの土台があったからこそ、『Wii』に至れたのだと考えております。その『Wii』から『星のカービィ スターアライズ』(2018)にいくまでも大変だったと傍から見て感じましたが(その話は下の記事で)。

www.papenspiling.com

最新作の『星のカービィ ディスカバリー』のディレクターである神山 達哉氏も「カービィのすいこみ大作戦でディレクターをしたことが役立った」とNintendo DREAMのインタビューで答えています。神山氏についてはまた別記事(予定)でお話ししますが、ゲームデザインの言語化が非常に秀逸な方だと感じました。そんな御方が企画を出して新たなカービィを創るのも楽しみですし、後進の方にも期待しております。

*1:ディレクター+プログラミング(ディレクター)+デザイン(ディレクター)+ムービー+アドバイザー+サウンド+アートワーク+テクニカルサポート+コーディネーション+プロジェクトマネージメント