ニンドリこぼれ話において『星のカービィ ディスカバリー』のスタッフが色々と語りました。その中でこのような発言ありました。
神山 メタナイトソードが完成していたときに、「ボスのメタナイトが使うアッパーキャリバーをカービィでもやりたいなぁ」とリードアクションプログラマーの住友につぶやいたら、次の日にはもう技を実装してくれていました! ありがたい。
出典:ニンドリ6月号『星のカービィ ディスカバリー』開発者インタビューこぼれ話 – Nintendo DREAM WEB
メタナイトのアッパーキャリバーをカービィに実装させたいというディレクターの要望に、リードアクションプログラマーの住友氏が言われて翌日には実装させたという話です。
ゲーム開発者へのインタビューと言いますのは、どうしてもゲームデザイナーやアーティストに偏りがちでプログラマーへのそれは減ってしまいます。これは載せられる成果物がなかなかないというのも原因でしょう。そして、さらに言えば、プログラマーでもその種類によって名が出やすい人とそうでない人もいます。
今回はインタビューで言及されたリードアクションプログラマーの住友氏にフォーカスした考察記事です。
住友 克禎とは
京都府出身。2003年、HAL研究所に入社。最初は『カービィのエアライド』のバグチェックに携わり、実際に制作に携わったのは『タッチ! カービィ』から。同時にゲームデザイナーの熊崎と手を組む最初の作品となった。ギミックを制作し終えた後、ラスボスのプログラムを担当。
本編カービィは『星のカービィ Wii』制作から始まる。以降リードアクションプログラムという独自の担当に就く。『星のカービィ スターアライズ』ではボス戦の中核を担うエキスパートアクションプログラマーとして紹介される。
出典:住友克禎 | カービィWiki | Fandom
住友氏のページはカービィwikiに昔からありましたが、私が色々手を加えました。彼は『星のカービィ Wii』以降、リードアクションプログラムという独自のポストでスタッフリストに載ります。アクションプログラムと書いてあるのだからそれだけなのかと言いますと、様々な逸話からも分かりますように色々やっています。そもそも始まりはギミックです。
Wiki内の逸話を見ても面白いですが、熊崎氏に「とにかく彼はプログラムを組むのも早いし、正確。しかも企画の考えが足りなかったところも、フォローして提案してくれるし、なにより面白い。こんな人は本当に、めったにいないと思います。」「異業種の天才」と評されるというのが、恐らく最も共有しやすい住友氏の評価となります。
といいますか、この記事よりカービィwikiの住友氏のページを見て欲しいです。
kirby.fandom.com
プレイヤーを見る
住友氏の逸話や発言を見ますと、彼はとにかくプレイヤー第一で動いているのが分かります。
プレイしてもらうからには、余計な部分に気を取られずに楽しんでもらいたいもの。ユーザーの気持ちを思い浮かべながらちょっとした工夫を積み重ね、どんどん良くなっていくのを感じられる、自分でも遊んでみたくなるゲームに仕上がっていく。これがゲームプログラム制作の醍醐味です。
出典:プログラムで表現するゲームの気持ちよさ | ハル研ブログ | ハル研究所
プレイヤーが押したボタンではなく、プレイヤーが何をしたかったのかを読み取りそれに応じた操作を、それが現実の物理法則と違うなら躊躇なく捻じ曲げる。そういう思想が彼には如実に見えます。
そんなことを日々考えているからか、思考読み取り機が欲しいとよく言うそうです。
読み取りと言えば、例えばゲームプログラマーについてはディレクターの出す仕様書を見て、本当は何が作りたいかを読み取ることが大事と指摘する方はおります(加藤 歩氏や八坂 俊氏など)。しかし、プレイヤーの要求の読み取りはディレクターのそれとは違い、コミュニケーション能力を発揮すれば分かるものではありません(フォーラムに熱心に投稿される意見を見ればいいなんてものでもないでしょう)。
そもそもプレイヤーが本当にやりたかったことを言語化できているかも定かではありません。まさに彼のやり方はエスパーですが、そういう理論化できないプログラムに挑めるのは彼の高い実力の証だと思います。実際に結果にできるかは分からないプログラムに挑みつつ、実際に要求されるプログラムをこなしてしまえるのですから。
10年間同じポスト
彼の経歴を見ますと、リードアクションプログラム担当が殆どです。ハル研究所は色々なプロジェクトや担当を任せてもらえる文化があります。にも関わらず彼は『星のカービィ Wii』以降ずっと同じ担当です。
期間もそうですが、その始まりも異様です。リードや専門の担当が振られたプログラマーは今でこそ珍しくありません。『星のカービィ ディスカバリー』ですとざっと見ても7種はあります。しかしプログラムディレクターという監修役を除けば『星のカービィ Wii』の時代はリードか、あるいは特殊な名前を冠したプログラマーは彼のみでした。
『Wii』開発時にアクションのコアとなる挙動の部分に携わり、今に繋がるカービィの構築が彼以外には実現できなかった…というのは言い過ぎでしょうが、これを逃せば次に至れたのはいつになったのか、それはあまり考えたくありません。社長が訊く『星のカービィ Wii』に彼は登場しませんでしたが、この時点で彼は無視し得ない功績をあげております。
(『社長が訊く』は今見ると、レベルデザイン担当の遠藤 裕貴氏が出なかったりと興味深い人選であることが分かります。後々のインタビューでプログラム・デザインディレクターが登場することは珍しくなります。)
"システム"プログラマー
彼は様々な形で逸話が残るプログラマーだということが分かりました。しかし、ハル研究所にいるプログラマーは彼のような者だけではありません。
ハル研究所は「ゲーム開発のために独自のプログラミング言語を仕様策定からコンパイラやVMの実装も含め、自社で開発」する文化もあります。さらにはFrat Frameworkというゲーム開発に必要なセットを構築し、ゲーム開発チームの意見も踏まえながらブラッシュアップさせるチームもおります。
これらの役割はシステムプログラマーに相当しますし、2016年のインターンシップのプログラマーブログでもその表現が使われています。これが冒頭でもお伝えしました、名が出ない人達です。CEDECなどで発表する意味があれば登壇しますが、そういった活動も少なくないコストがかかります。
住友氏は自分とは違った役目を果たすプログラマー達もハル研にいるからこそ、謙遜も含めてこうおっしゃっているのだと思います。
僕は技術屋というよりも、どちらかというとゲーム屋に寄っているプログラマーなので……。泥臭く作っているだけなので、そう(注:異業種の天才と)言われると恐縮してしまいます。
出典:宮昌太朗(2018)「Interview with 3Generation. ハル研究所 3世代から見る断面」『CONTINUE』Vol.51、p.135-147、太田出版.
ちなみに、この2種のプログラマーを熊崎氏はこう解釈しています。
プログラマーにも2種類のタイプがあって、実現するためのコードが思いつくタイプと、絵や文字で遊びのアクションのイメージが湧くタイプがいるんです。ひと言で「プログラムができる」といっても、アクションよりのプログラマーかシステムよりのプログラマーかで、全然違う。どっちもすごいんですけど、道筋が違うと思います。
出典:宮昌太朗(2018)「Interview with 3Generation. ハル研究所 3世代から見る断面」『CONTINUE』Vol.51、p.135-147、太田出版.
「熊崎氏が自身の担当する企画ディレクションとアーティストへの理解は勿論、サウンドに加えてプログラマーに対するそれもまた高い」ことについては後程考察することになりそうですが、ともかく分かりやすいゲームプログラマーだけでなく、システムプログラマーもまた見なければいけないなと思います。なかなか難しいですが…。