Papen's Piling

主にコンシューマーゲーム会社を調べる所

ハル研究所の○世代

 2018年01月23日に発売された太田出版による『CONTINUE Vol.51』ではハル研究のスタッフが大々的に特集されました。そこではハル研究所社員を3世代に分けてそれぞれの世代から当時のことをインタビューする形で記事が展開されました。

CONTINUE Vol.51

CONTINUE Vol.51

  • 作者: DEVILMAN crybaby,永井豪,湯浅政明,GAME OF THE YEAR,ハル研究所,ポプテピピック,上坂すみれ,吉田豪,アユニ・D(BiSH),カレー沢薫,押山清高
  • 出版社/メーカー: 太田出版
  • 発売日: 2018/01/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 会社を世代に分けて論じるのは非常に面白いと感じ、こちらでもハル研究所が年を通じてどのように変わっていったかを表してみたいと思いました。

世代区分

 まず世代区分についてお話します。『CONTINUE Vol.51』では大きく3つの世代に分けていましたがそもそも1987年から話していたためさらに忠実に

  • 1980年~1986年入社組を第一世代
  • 1987年~1992年入社組を第二世代
  • 1993年~2001年入社組を第三世代
  • 2002年~2008年入社組を第四世代
  • 2009年~2018年入社組を第五世代

としました。インタビューで第一世代としてインタビューを受けました石田 聡は

(まあ、細かいことを言えば、私は第1世代というよりも、1.5世代というほうが合っているのですが)

出典:「CONTINUE vol.51」に「ハル研究所特集」が掲載されました! | ハル研ブログ | ハル研究所

 と申しておりましたが、ここでは第二世代とさせて頂きました。それはどの世代もハル研究所を形作る上で重要な役割を担っており、1.5のような半端な数字では表せないと感じたからです。

第一世代(1980~1986)

主な特徴

  1. プログラマー集団
  2. ゲームソフトよりはパソコンの周辺機器がメイン

 ハル研究所の創設組から、FCで開発販売どちらも担当した最初のソフト『ガルフォース』発売の1986年入社組を対象とします。元々ハル研究所はパソコンマニアの集まりから生まれていますのでここから第二世代までプログラマーが多くを占めています。この時代はゲームソフトよりは、パソコンの周辺機器がメインであり第一世代で確認できる人物はプログラマーだけです。

 なお、現在もハル研究所に在籍する者は谷村 正仁氏と羽生 昭夫氏*1のみです。前者は取締役会長、後者は現役プログラマーとして活躍しています。

主な該当者

  1. 谷村 正仁(1980):取締役会長
  2. 岩田 聡(1982):ハル研究所代表取締役社長、任天堂代表取締役社長
  3. 羽生 昭夫(入社年不明):プログラマー、最新作は『すいこみ大作戦』

主な製品

  • [????/??/??]:PCGシリーズ
  • [1984/05/01]:ゴルフ(FC)
  • [1985/01/22]:バルーンファイト(FC)
  • [1986/11/19]:ガルフォース(FCD)

第二世代(1987~1992)

主な特徴

  1. 昔のハル研と今のハル研の境目
  2. 第一世代と共に山梨開発センターの初期メンバー

 『エッガーランド』発売の1987年から、『星のカービィ』発売の1992年入社組を対象とします。『CONTINUE Vol.51』では第一世代としてカテゴライズされておりました。

 この時期の特徴はゲームソフトの数多くの発売と言えます。この5年間で30本のゲームソフトを世に送り出しているからです。この時期はブランド確立に成功しておらず、自力でシリーズ化ができているものは『エッガーランド』と、そこから発展した『アドベンチャーズ オブ ロロ』、そして『星のカービィ』*2のみです。

 しかしながら、第二世代の人の多くはゲームに詳しい訳ではなく阿部 哲也は

阿部:はい。当時、ハル研究所はPCGボードやPSGをいう音源ボードを出していて、あとは小学館(ポプコムソフト)から出していたグラフィックソフトの『ダ・ビンチ』とか。その雑誌広告を見て、名前は知っていたんです。ただ、ゲームを作っていたことはまったく知りませんでした(笑)。

出典:宮昌多朗(2018)「Interview with 3 Generarion. ハル研究所 3世代から見る断面」,『CONTINUE Vol.51』,P.137,太田出版

と述べており、そもそもハル研究所をゲーム会社と認識していない形でやってきたことが伺えます。第二世代もプログラマーとして入社した者が多いですが、皆さんカービィサウンドでご存知の石川 淳や安藤 浩和もこの第二世代に該当します。第一世代に比べるとハル研にいる者は多く、カービィシリーズの中核を担っている人もいるのが特徴です。1991年には山梨開発センターが竣工しているため、第二世代も山梨開発センターの初期メンバーであったと言えます。*3

 最後にですが、著名なゲームクリエイターである桜井 政博はこの世代に当たります。プログラマーの会社にデザイナーが来るという構図、ハル研究所における1つのターニングポイントかと思います。

主な該当者

  • 阿部 哲也(1987):プロジェクトマネージャー
  • 石田 聡(1989):ハル研究所広報
  • 石川 淳(1990):カービィサウンドの立役者
  • 桜井 政博(1990):『星のカービィ』の生みの親
  • 三津原 敏(1990):ハル研究所代表取締役社長
  • 安藤 浩和(1991):カービィサウンドの立役者

主な製品

  • [1987/01/29]:エッガーランド(FCD)
  • [1988/01/07]:殺意の階層 ソフトハウス連続殺人事件(FC)
  • [1988/02/01]:ファイヤーバム(FCD)
  • [1989/10/18]:ピンボール66匹のワニ大行進(GB)
  • [1990/01/06]:アドベンジャーズ オブ ロロ(FC)
  • [1990/09/07]:宇宙警備隊(FC)
  • [1991/08/30]:メタルスレイダーグローリー(FC)
  • [1991/08/31]:ハイパーゾーン(SFC)
  • [1992/03/27]:カードマスター リムサリアの封印(SFC)
  • [1992/04/27]:星のカービィ(GB)

第三世代(1993~2001)

主な特徴

  1. デザイナーが目立ち始める
  2. ゲームを作るためやってきたが、結果は多様性を持つ
  3. 東京ハル研の初期メンバー

 『星のカービィ』がシリーズものとして始まる『星のカービィ 夢の泉の物語』発売の1993年から『大乱闘スマッシュブラザーズDX』発売の2001年までを対象とします。この時期は激動の時代であり、ハル研究所の沿革でも

  • 1993年:代表取締役社長に岩田 聡氏が就任
  • 1995年:ハル研究所プログラミングコンテストを始める
  • 1998年:シンボルマークを「犬たまご」マークに変更
  • 1999年:(4月)東京開発センター設立
  • 1999年:(6月)代表取締役社長に谷村 正仁が就任
  • 2000年:関連会社「株式会社ワープスター」を設立

と怒濤の施策ラッシュです。そのため新たなハル研究所を作る動きに携わった人が多く、第二世代のように重要なポストにいるのが特徴的です。違う点としては、デザイナーが目立つです。

 また、第三世代の該当者である北 健一郎は

ー 仕事として関わる前は、カービィシリーズのことをご存知だったんでしょうか?

北:就職活動をする中で、調べて知っている程度でした。もちろんゲームは好きで遊んでもいたんですけど、カービィはちゃんとは遊んだことのないタイトルでしたね。ただ実際に遊んでみるとどんな人でも引っかかることなくどんどん遊べる気持ちよさがある。

(中略)

多くの人に遊んでもらえるゲームかな、と。それが第一印象でした。

出典:宮昌太朗(2017)「25年目のカービィのデザイン。」,『CONTINUE SPECIAL ガールズ&パンツァー』,P.139,太田出版

と第二世代とは違ってゲームには詳しくても、カービィは当初はしっかり遊んだことはないと述べるなど「ゲームを開発したいため入社した」面が強く表れています。しかしアニメ『星のカービィ』で設定協力を担当した山本 正宣や、現在フェア等の立案に大きく関わると言われる藤江 宏志のように全ての努力がゲーム開発に向いている訳ではありません。よって、確立された「星のカービィ」というIPをどう生かすか考えることになった初の世代と言えるかも知れません。それは分かりやすい例のアニメだけでなく、3D化で現れたポリゴンの扱いにも言えそうです。

 そして東京開発センター設立と、沿革には書かれていませんがハル研究所も関わったジャックの豆の木計画終了後の一部プロジェクトメンバー雇用により、後の東京ハル研の初期メンバーが形作られます。よって、非常に大雑把ですが山梨開発センターの初期メンバーは第一世代と第二世代東京開発センターの初期メンバーは第三世代と分けられます。

主な該当者

  • 山本 正宣(1995):アニメ『星のカービィ』設定協力
  • 北 健一郎(1995):リードデザイナー
  • 川瀬 滋史(1996):プロデューサー
  • 酒井 省吾(1996):カービィサウンドの立役者
  • 鈴木 輝彦(2000):プログラマー、『はたらくUFO』ディレクター
  • 藤江 宏志(2000):ブランド管理

主な製品

  • [1993/03/23]:星のカービィ 夢の泉の物語(FC)
  • [1994/08/27]:MOTHER2 ギーグの逆襲(SFC)
  • [1995/03/21]:星のカービィ2(GB)
  • [1996/03/21]:星のカービィ スーパーデラックス(SFC)
  • [1998/03/27]:星のカービィ3(SFC)
  • [1999/01/21]:ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ(N64)
  • [1999/03/21]:ポケモンスナップ(N64)
  • [1999/??/??]:シールプリントシステム
  • [2000/03/24]:星のカービィ 64(N64)
  • [2001/11/21]:大乱闘スマッシュブラザーズDX(GC)

第四世代(2002~2008)

主な特徴

  1. 2018年時点におけるゲーム開発現場の主力
  2. 第三世代のようにゲームを作るためやってきた
  3. 表面化するカービィ好き
  4. 「ボツ続きだった王道カービィ開発」の経験を持つ最後の世代

 『星のカービィ 夢の泉デラックス』発売の2002年から『星のカービィ ウルトラスーパーデラックス』発売の2008年入社組を対象とします。『CONTINUE Vol.51』では第二世代としてカテゴライズされておりました。

 第四世代最大の特徴は、現状確認できるだけでも総勢37名という厚い社員数です。数が多いため、熊崎 信也をはじめとする優秀なスタッフも数多く輩出されています。現在の『星のカービィ』シリーズでは不可欠な人々であると評価しても問題はないと思います。この世代でも第三世代と同じ様に「ゲームを開発したいため入社した」という方が門戸を叩き、例えば熊崎 信也と住友 克禎はこのように述べています。

熊崎:そうですね。それまでもハル研究所が開発に関わっていた『ゴルフ』や『F1レース』、『御存知 弥次喜多珍道中』を遊んでいたので、「まさか自分がその会社に入れるとは」という感じでしたね。まさに憧れの会社でした。

住友:僕は1年後の2003年入社ですね。「ゲームを作りたい」と思って、いろんな会社を受けたんですけど、そのなかでハル研究所に採用していただいた形です。

出典:宮昌太朗(2018)「Interview with 3 Generarion. ハル研究所 3世代から見る断面」,『CONTINUE Vol.51』,P.141,太田出版

しかし好きなカービィタイトルに子供の頃に遊んだ『星のカービィ 夢の泉の物語』を挙げる東藤 由実など、カービィのゲームを遊んだ思い出が根底にある者もおります。徐々にカービィが好きな人がハル研究所に入社する例が生まれてきているのです。

 忘れてはならないのは、この第四世代が「ボツ続きだった王道カービィ開発」の経験を持つ最後の世代です。入社年が一年しか変わらない東藤 由実とファーマン 力を第四世代と第五世代で分けた理由はここにあります。*4

ー 仕事として最初に携わったのは?

東藤:世に出なかったカービィ企画のひとつです。『カービィ Wii』が出る前に3本、ボツになった企画があるんですけど、その3作目ですね。

(中略)

ファーマン:僕が、仕事として最初に関わったのは『カービィ Wii』になります。

出典:宮昌太朗(2017)「25年目のカービィのデザイン。」,『CONTINUE SPECIAL ガールズ&パンツァー』,P.139,太田出版

主な該当者

  • 熊崎 信也(2002):『星のカービィ』の育ての親
  • 住友 克禎(2003):『星のカービィ Wii』以降のアクションの基礎を確立させる*5
  • 向江 康博(2004):『ハコボーイ』の生みの親
  • 仲上 雅代(2005):各作品のアートワーク、グッズデザイン監修
  • 西村 悠樹(2005):プログラマー、最新作は『バトデラ』
  • 遠藤 裕貴(2006):『ロボプラ』レベルデザインディレクター
  • 神山 達哉(2006):『すいこみ大作戦』ディレクター
  • 東藤 由実(2008):『カビハンZ』ディレクター
  • 岡田 信志(2008):『25thオケコン』プロデューサー

主な製品

  • [2002/10/25]:星のカービィ 夢の泉デラックス(GBA)
  • [2003/07/11]:カービィのエアライド(GC)
  • [2004/04/15]:星のカービィ 鏡の大迷宮(GBA)
  • [2005/03/24]:タッチ!カービィ(DS)
  • [2006/11/02]:星のカービィ 参上!ドロッチェ団(DS)
  • [2007/12/??]:星のカービィ メダルランドの魔法の塔
  • [2008/11/06]:星のカービィ ウルトラスーパーデラックス(DS)

第五世代(2009~2018)

主な特徴

  1. 2018年時点におけるゲーム開発の主力
  2. ボツ続きの王道カービィ開発経験は表面上はない
  3. 「カービィが好き」
  4. インターンシップを経由する者も

 『立体ピクロス』発売の2009年から『星のカービィ スターアライズ』発売の2018年入社組を対象とします。現状確認できる人数は43名*6です。

 第四世代と同じように2018年時点のゲーム開発主力です。第四世代と異なるのは難産に苦しんだ王道カービィ開発の経験を持たないことです。

 この世代になると入社する前にあったカービィのゲーム体験を口にすることは珍しくなくなってきます。2015年から開始された*7インターンシップを経由して入社する者も登場し、入り口が多様化しています。

主な該当者

  • 菅野 晃宏(2009):『バトデラ』リードモチーフデザイン
  • ファーマン 力(2009):『カビハンZ』『すいこみ大作戦』デザインディレクター
  • 川上 雄太(2009):『タチカビSR』『ロボプラ』リードデザイン、『はたらくUFO』デザイン
  • 平田 雄大(2012):『ロボプラ』『バトデラ』プログラム
  • 末継 和也(2013):各作品でプログラム、テクニカルサポートを担当
  • 吉田 悟(2012):『バトデラ』リードプログラム
  • 大原 萌(2015):『バトデラ』リードサウンド*8
  • 莿木 勇斗(2016):『カビハンZ』『バトデラ』アートワーク

主な製品

  • [2009/03/12]:立体ピクロス(DS)
  • [2011/08/04]:あつめて!カービィ(DS)
  • [2011/10/27]:星のカービィ Wii(Wii)
  • [2014/01/11]:星のカービィ トリプルデラックス(3DS)
  • [2015/01/15]:ハコボーイ!(3DS)
  • [2015/01/22]:タッチ!カービィ スーパーレインボー(WiiU)
  • [2016/04/28]:星のカービィ ロボボプラネット(3DS)
  • [2017/11/14]:はたらくUFO(iOS、Android)
  • [2018/03/16]:星のカービィ スターアライズ(Switch)

コントラストに区切る意味

  今回、ハル研社員を世代ごとに区切ってみました。そこから見えてくるのは

  • 第一世代・第二世代はプログラマー集団であり、ゲームに詳しい訳ではなかった。両世代全体では桜井 政博のような存在は異端。
  • 第三世代でデザイナーが目立ち始めるが、ブランドマネジメントなどゲームとはまた違った分野に携わる者もいるなど、前の世代が積み上げた「カービィ」をどう生かすか悩んだ世代と表せる。
  • 第四世代・第五世代が現在のハル研の主力だが、『Wii』の前にあったボツ作品開発経験の有無に違いがある。

というある程度はっきりした違いです。ある集団、物体群を世代で区切ることは定番の手法です。ですが、原則論として物事は一瞬にして変化することはありません。グラデーションという言い方も実は適切ではなく、順調に進化しているようで退化するなど、世の中の変化は簡単に説明できる代物ではありません。

 ハル研究所はご存知のように山梨開発センターと東京開発センターに分かれており、世代だけで説明を試みるとどうしても破綻します。第三世代にいる北 健一郎は東京開発センターの初期メンバーではありませんが、開発センターのレイヤーを無視して言っているためどうしてもこうなります。

 それでも『星のカービィ スターアライズ』発売前にこのような記事を出せたことは良かったと感じています。新たな動きを調べるには過去の下調べが無ければ何も出来ませんから*9

*1:『BEEP1985年10月号』「ゲームデザイナー68人アンケート」で岩田 聡氏が気になるゲームデザイナーとして挙げているため、入れました

*2:ご存知の様にタイトルは任天堂からの提案ですので、任天堂との協力が無ければ今のハル研はありませんでした。

*3:ゲーム開発では外注や委託されることも多い音楽が、ハル研究所では社員の石川 淳と安藤 浩和が長年担っていたのもこの山梨開発センターの設計で音楽ブースを事前に盛り込んでいたからではないかと思っています。

*4:2009年、2010年入社組の2名が2011年発売の『あつめて!カービィ』に関わっていますが、お二方は『Wii』のスタッフリストに載っていませんのでこの分け方で問題ないと判断しました。

*5:今までリードアクションプログラムが何なのかはっきりとした答えが見つけられませんでしたが、『CONTINUE Vol.51』でようやく分かりました。

*6:ちなみに2009年から2017の間でハル研社員は29名増加しています。この差は既存社員の退社が無ければ説明が付きません。

*7:2014年以前にあった証拠が見つかりませんでした。

*8:2015年入社なのに、2015年1月発売の『タチカビSR』に関われたのは、それまでアルバイトとして仕事をしていたからです。アルバイト時代に『天かける虹』を作曲した事実を忘れてはなりません。

*9:そう言いながら過去記事の修正ができてないんですけどね。