Papen's Piling

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【26周年記念】1992年から2006年のハル研究所を見る

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 星のカービィは26周年を迎え、巷では第3回プププトレインやローソンキャンペーンなど企画も盛り上がっています。『星のカービィ スターアライズ』も世界で100万本を突破しました。そのように賑わいを見せる「カービィ」シリーズですが、このブログでは「カービィシリーズ」を創るハル研究所そのものについて色々妄想したり考察したりしています。

dougin-1809.hatenablog.jp

 前回の記事では2004年から2018年の山梨開発センターについて書きましたが、26周年という名目で投稿された今回は1992年から2006年のハル研究所全体の開発体制についてトピックごとに見ていきます。

なお今回の記事は、私が個人でまとめているハル研究所スタッフリストのキャプチャー画像を大量に使用しています。ご注意下さい。

<要約>

  • 「社員の関与が少ないプロジェクトで星のカービィを作り上げた」から始まった桜井政博
  • 『夢の泉の物語』と近い『2』/『3』と『64』
  • 『スマブラDX』=ハル研+クリーチャーズ
  • 『鏡の大迷宮』と『参上!ドロッチェ団』は同列に扱えない

桜井 政博の起源

 このブログを見るような方にはわざわざ解説する必要のないゲームデザイナー、桜井 政博。彼の始まりは1992年4月27日発売『星のカービィ』(以下、初代)です。この後ハル研究所の和議申請を挟んで1993年3月23日に『星のカービィ 夢の泉の物語』(夢の泉の物語)が発売されます。この両作のスタッフリストを比較するとこうなります。

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SUNDAY RAIN、MAMMY PRECOといったよく分からない方がいます*1。問題はそこではなく、初代と『夢の泉の物語』のスタッフに殆ど共通点がないことです。しかも初代のスタッフで1991年以前にスタッフリストに載っているのは石川 淳、金井 誠の2名のみです。スマブラシリーズで後にクローズアップされます岩田 聡との関係が無かったとは少し言い辛い*2ですが後に『カービィシリーズ』として日本を、そして世界に影響を及ぼす一大コンテンツの始まりは当時のハル研社員の多くが関与しない、小さなプロジェクトだったと言えます。

 ここまでは恐らく事実と言えます。ではその先を考えてみましょう。この初代の開発体制を見ると桜井 政博は「自分のゲームクリエイター初の作品は他の社員があまり関与せず、企画と大部分のグラフィック*3を自分で担当した」中で生まれています。後に彼は2003年にハル研究所を退社しますが、初めて世の中に送り出した作品で、ゲームのコアである企画を自分で作り上げたことを踏まえれば全く不思議ではないでしょう。ハル研究所という会社の中で作品を作り続けるべきなのか、その答えは最初から「否」だったのかも知れません。

夢の泉の物語…2/3・64

 『星のカービィ2』(2)『星のカービィ3』(3)『星のカービィ 64』(64)は後に「下村カービィ」と呼称されるようになります。これは3作共に下村 真一がディレクターを務めているからです。しかしディレクターだけでなくプログラマーやデザイナーなどスタッフを細かく見ていくと、実は『2』は『3』『64』とあまり一致しません。

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『64』を基点に比較してみましたが、『2』に参加していたスタッフはわずか5名でした。『3』に関わったスタッフ25名の内20名が『64』に参加している事を踏まえると

「『2』『64』両作に関わったスタッフは5名で、『3』『64』両作に関わったスタッフはその4倍、20名」とややセンセーショナルな文言にたどり着きます。では『2』は何と近いのかと言いますと、『夢の泉の物語』です。

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『初代』と『夢の泉の物語』はスタッフレベルでは殆ど繋がりがありませんでしたが、『夢の泉の物語』と『2』は結構密接な繋がりがあったのです。

岩田 聡の任天堂社長就任の裏で

 ハル研究所にとって端から見ても総力をかけた作品であると言えるのは『大乱闘スマッシュブラザーズDX』(以下、スマブラDX)でしょう。実はスタッフリストを見ると“ハル研社員ではない”スタッフが数多くいます。『ポケモンスナップ』に登場する64モデリングセンター東京がそれに当たります。

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64モデリングセンター東京とは何か。「社長が訊く」にその答えはありました。

岩田

ポケモンの立体のモデルというと、
本当に大昔の話になりますけど、
N64の時代に『ポケモンスタジアム』(※8)や
『ポケモンスナップ』(※9)などで
わたしは石原さんとご一緒して、
たくさんのモデリングをする仕組みづくりを
お手伝いしました。

 

石原

そうでした(笑)。
クリーチャーズのなかに
「ポケモンモデリングセンター」というチームをつくって、
そこでたくさんのモデルをつくりましたね。

出典:社長が訊く『ポケモン立体図鑑BW』|ニンテンドー3DS|Nintendo

3D化で、今後確実に増えていくポケモンのモデリングを集中的に行える環境が必要で、そこで生まれたのがポケモンモデリングセンターでした。石原 恒和がクリーチャーズの中に作ったと仰っていますので、クリーチャーズ傘下のモデリングセンターにいた人達がハル研の『スマブラDX』の開発に参加していたと言えます。ちなみに『スマブラDX』のデザインディレクター、小林 仁志はこのモデリングセンター出身です。

 このハル研+クリーチャーズの制作体制はどうやら『ポケモンチャンネル 〜ピカチュウといっしょ!〜』にもあったようです*4が、遅くとも2006年の『ポケモンレンジャー』以降にハル研が主だってポケモンシリーズと関わることは無くなります。モデリングセンター設立やローカライズなどポケモンと長く関わってきた岩田 聡が任天堂社長となってハル研にそのツテが利用し辛く、そもそもシリーズごとの分業化が進行したため関わる必要がない状態にあったのではないでしょうか。岩田 聡は単なるハル研社長ではなく、ポケモンと深く関わる特殊な位置関係にあったのです。彼の異動はハル研にも大きな影響を与えたのです。

 話題は変わりますが、君島 達巳に代わって新たな任天堂社長、古川 俊太郎が選ばれましたが彼も株式会社ポケモンの社外取締役、そしてかつて岩田 聡が務めていた経営企画室長に任じられていたりと近い匂いが感じられます。私は任天堂の組織構造については全くの素人でありますがなかなか興味深いです。 

「フラグシップカービィ」は存在しない?

『星のカービィ 鏡の大迷宮』(大迷宮)と『星のカービィ 参上!ドロッチェ団』(参ドロ)はどちらも開発がフラグシップとなっていますので、「フラグシップカービィ」とまとめられて語られることもあります。ですが両作のスタッフリストを見比べると不思議なことにあまり一致しません。

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上が鏡の大迷宮を基点とした比較です。大迷宮はフラグシップ*5がプランニング、そしてDIMPSという元SNKの開発1部社員が中心となって生まれた会社がプログラミング、デザインに関わっています。一方、下の参ドロはフラグシップがプランニングとプログラミング、デザインを、そしてナツメという今はナツメアタリと呼ばれる会社がデザインに関わっています。

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よって違いをまとめますとこうなります。

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プランニングというゲーム企画の立案や、プロジェクトの管理・改善を行う部分は同じですが、プログラマーやデザイナーなど実際に企画をゲーム内に反映させる担当は大きく変わっていました。考えてみれば、大迷宮と参ドロはコピー能力の挙動*6、ステージデザイン*7などかなり異なっていました。ディレクターは桜井 政博がいなくてもある程度共通していたとはいえ、ゲームの世界を実際に設計していくプログラマーとデザイナーが違えばゲームもかなり異なっていくのは明確です。

そこまで違うゲームを同じ「フラグシップカービィ」とまとめるのは個人的にはあまり適切ではないと考えています。とはいえ代案が思いつきませんし、昔の話ですので自己満足ですが。

 ちなみに、DIMPSとフラグシップはどちらも元SNK社員が中核と言われています。DIMPSについては先程説明しましたがフラグシップについては『桜井政博のゲームについて思うこと』でこのように書かれています。

(中略)こうして"フラグシップ・カービィ"の企画が立ち上がることになりました。

 ディレクターは、『サムライスピリッツ』等を手掛けた重鎮で、メインスタッフともども、元SNKの人々が母体となっています

出典:『桜井政博のゲームについて思うこと』P.141、週刊ファミ通2004年4月2日号、4月9・16日合併号掲載、VOL.48.49『フラグシップ・カービィ』

『大迷宮』にスマブラが出たのは格ゲーを多数輩出してきたSNKスタッフが関わった故…なのでしょうか?

*1:彼らとBUBBY、CIPHERが何者か確定させるために、1986年のガルフォースから11作品のスタッフリストを調べましたが手がかりは何もありませんでした。

*2:彼が関わっていたとされる『メタルスレイダーグローリー』のスタッフリストに実は彼の名前はありません。不明瞭な「逸話」のみが彼の功績を形作っています。

*3:『桜井政博のゲームについて思うこと』P54

*4:メインはクリーチャーズです

*5:画像では「旗船」と略称です。なお、一部右上に三角が付いている任天堂社員がいますが、全員元フラグシップ所属でした。

*6:雑に言えば大迷宮はスピーディ、参ドロは大ぶりです

*7:大迷宮は密度がありましたが、参ドロは比較的ゆったりしていました。