Papen's Piling

主にコンシューマーゲーム会社を調べる所

星のカービィ Wiiから見る、HAL研の開発体制

f:id:dougin-1809:20160623184235p:plain

 完全新作、正統王道カービィとして11年ぶりに世に出された『星のカービィWii』。今回は『星のカービィ Wii』で大々的に変わったHAL研の開発体制について書いていきたいと思います。

社長が訊く『星のカービィ Wii』で登場したスタッフの入社年は?

 第4代任天堂任天堂代表取締役、岩田聡がゲーム開発者に作品の開発について様々なことを訊く企画、『社長が訊く』でカービィシリーズは2作品対象となりました。1つが『毛糸のカービィ』、もう1つが『星のカービィ Wii』です。

前者はグッド・フィールが開発の中心となっているため*1、ここでは『Wii』のみを対象にして、入社年を見てみましょう。

f:id:dougin-1809:20160629234922j:plain

結果、

  • 川瀬滋史は1996年*2
  • 熊崎信也は2002年
  • 中野宏晃は2006年に

入社していることが判明しました。

上武理志は不明ですが、『エアライド』や『タチカビ』のスタッフリストに載っていないことを踏まえると早くても2005年頃に入社したと予測できます。

よって、この中で2000年より前に入社している者はプロデューサーの川瀬のみとなり、ディレクターである熊崎は当時32歳でその役割を担っています。また、川瀬はインタビュー中に

そこに関しては、中野さん、上武さん以外にも
チームが比較的若いメンバーだったからこそ、
乗りこえられたのかなとは思います。
今回、すんなり通り抜けられたのは
若いパワーが大きかったのかなと。

出典:社長が訊く『星のカービィ Wii』

と発言しており、中野や上武などスタッフが比較的若いことを明らかにしています。

よって、『星のカービィWii』の制作体制の核と言えるディレクターは30代、場合によっては20代後半で構成されていたと言えます。

昔からカービィに関わっていた人はどこに?

そうなると1つの疑問が提示されます。「昔から開発に関わっていた人は皆やめてしまったのか?」と。勿論実際はそうではありません。プログラムには『星のカービィ』誕生前からHAL研に在籍している羽生 昭夫や『SDX』からいる高橋 功、リードキャラクターデザインでは1996年に入社した北 健一郎、モチーフデザインには1997年に入社した南 知臣、チームサポートには『夢の泉の物語』からいる乙黒 誠二など開発の中心にもベテラン社員は残っています。

特にリードーキャラクターデザインの北はスージーのしんりゃくレポート第3回で、実際に出たスージーに最も近いアイデアスケッチを出しており、『星のカービィ』シリーズの世界観の理解の差を如実に表していると筆者は感じました。

しかし数的優位は既に消えており、14名のプログラム担当の内、8名が2000年以降、さらにその中の2名は2010年入社と確定

f:id:dougin-1809:20160702231443p:plain

デザインでは13名中7名が2000年以降で、その内の2名は2010年入社と確定しています。

f:id:dougin-1809:20160702231452p:plain

モチーフデザインは確定していない社員が多く、古参が残っている可能性も否定できません。当然ですが、プロデューサーではお馴染みの方が数多く在籍されています。

尚、掲載した表は筆者が作成しているHAL研情報集積地 - Google スプレッドシートから引用しました。

補足説明:確定していない=古参が残っている となる理由

筆者のHAL研社員の入社年の特定は、HAL研ブログ*3、HAL研ダイアリー*4そしてスタッフダイアリー*5でアーカイブ化されている新人研修や入社年が載っている記事で判断しています。これらの情報源は一番古くても1999年からで、理論上は1999年入社からしか絞れません。そのため、それより前に入社した社員については別の情報源から出てくることを期待するしかなく、結果として「確定しないため、古参の可能性がある」という法則が生まれるのです。

新たなディレクターが活躍するための条件

先程も書きましたが、『星のカービィWii』という集大成とも言える作品のディレクターは熊崎 信也です。彼は何の経験も持たずにこの作品の監修を務めたわけではありません。『星のカービィ ウルトラスーパーデラックス』の企画・監修という経験があった。そのため技量という点から考えれば彼はすでに開発中止となった3作品(とその企画書にあった要素)と新たな要素を合わせ、1つの作品とするプロジェクトの監修には適格でした。

しかし、HAL研は彼より年上の社員が数多く在籍する会社です。後ろ盾がいなければ効率的に動くことはできないでしょう。

阿部 哲也との関係

熊崎がディレクターとして出るには、歴史の長い会社なら当たり前ですが古参との関係が良くなければなりません。熊崎が古参からどのように思われているか判別できる証拠はほとんどありませんが、それが良いことを類推できそうな人が1人存在する。

見出しで既に明らかになっているが、阿部哲也である。

 彼はタチカビでプロジェクトマネージメントを務めた。が、実は熊崎がディレクターの作品では"必ず"それを担当しているのです。『カービィファイターズZ』、『デデデ大王のデデデでデンZ』といったサブゲームの発展作品でも適用されるという徹底ぶりです。また、阿部はUSDXのインタビューでは熊崎と一緒に出ており、ロボプラ殿堂入りの記事でも制作の中心であろう4名の集合写真にもしっかりと写っています。

f:id:dougin-1809:20160627195835p:plain

出典:『星のカービィ ロボボプラネット』プラチナ殿堂入り! | ハル研ブログ | ハル研究所

左からプログラムディレクターの永田 善裕、コ・プロデューサーの上武 理志、ゼネラルディレクターの熊崎 信也、プロジェクトマネージメントの阿部 哲也

 プロジェクトマネージメントはプロジェクトの進捗を全面的に管理する、重要な担当です。そこに彼がい続けるという状況は、熊崎の後見人であることを表しているのではないかと筆者は考えました。

Wiiで初登場したスタッフのその後

Wiiで初登場したスタッフは後の作品でも活躍しています。

  • プログラムの永田 善裕は『ロボプラ』でプログラムディレクター
  • デザインの松浦 萌奈美は『ロボプラ』でデザインディレクター

スペシャルサンクスからは

  • 向江 康博は『ハコボーイ』、つまりキュービィの生みの親となる。
  • 東藤 由実は『ロボプラ』のセクションディレクター
  • 伊藤 春香は『ハコボーイ』のデザイナー
  • 大西 洋は『カビファZ』、『デデデンZ』のプログラムディレクター

となりました。そのような変遷を見ると現在、制作の中心にいる人が本格的に制作の現場に入ることになったターニングポイントが『星のカービィ Wii』だったと言えます。

 

*1:スタッフリストには70名の名前が出ているが、その内39名がグッド・フィール社員と確定している。尚HAL研は12名確定

*2:記事中の発言「岩田さんが任天堂へ行かれたのは
わたしがハル研(※2)に入って4年経ったころでしたから、
もう11年になりますね。」でそのように推測できました。

*3:4代目に相当する、現在のハル研究所公式サイトに存在する、社員が記事を投稿する形のブログ。あくまでブログですので広報だけでなく、社員のちょっとした日常生活に関する記事もたまに投稿されます。なお、このブログでは投稿者名がフルネームで登場します。

*4:3代目に相当する、ハル研究所公式サイトに存在した社員が記事を投稿する場。ブログのようにカテゴリ別で分けるだけでなく、役職名での区別や全文表示など様々な機能が用意されていました。

*5:初代、2代目のハル研究所公式サイトに存在した、社員が記事を投稿する場。1999年から2005年まで利用されており、ネット上においては最古の情報が収集できます